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カテゴリ:論文用雑談
  • The Beachboys: 「ある晴れた朝のできごと―アレックス(Alex)」
    [ 2006-02-05 01:25 ]
The Beachboys: 「ある晴れた朝のできごと―アレックス(Alex)」

*卒業論文からの抜粋です。バリ島フィールドワークの報告、その1!

7. ある晴れた朝のできごと―アレックス(Alex)

 部屋から出てきたアレックスの顔がおかしい。よく見ると左耳のほうが血まみれになっている。ピアスをしていた耳の先がひどく破れていて、そこから血が出ていた。目の周りは赤く膨らんでいて、鼻血の跡もまだ乾いていない。おなかが痛いのか、からだを丸めている。
 これは、非常事態だ。こんなはずじゃなかった。今日わたしは、アレックスの1日をビデオカメラで撮影する予定だった。かれが朝起きて家を出る場面から仕事場に向かう道の風景やかれの働く姿などを「アレックスの1日」というタイトルでビデオカメラにおさめたかった。しかし、会ったばかりのアレックスは、仕事どころか、血だらけの怪我人だったのである。
 あまりにもおどろいてしまったわたしは、アレックスのすさまじい顔をみつめたまま、何もことばが出てこなかった。アレックスの部屋の前にぼうぜんと立って、かれの顔をみつめていた。
 「Selamat Pagi(おはよう)」と、アレックスのほうが先にわたしに挨拶をしてきた。しかし、わたしにはそれに答える余裕がなかった。それよりも、はやくかれを病院につれていくべきだと思ったからである。焦っているわたしをみて、「僕は大丈夫だから、心配しないで」とアレックスが言った。しかし、これだけひどい顔をしている友達を目の前にして、心配しないでいられる人間がどこにいるものか。「病院に行こう」と言うわたしに、アレックスはニコッと笑いをみせていた。きっと、「行かなくていい」と語っているのである。

 いつもならアレックスは6時にはかならず家を出て仕事場に向かう。よく、インドネシア人は時間にルーズだといわれるが、みながみなそうではない。なかには、アレックスのように徹底的に時間を守る人もはいるわけである。そのようなかれを取材するには早起きせねばならなかった。そのため今日はいつもの朝寝坊をやめて、朝5時前から起きて撮影の準備をしていた。そしてはやくも5時半にここについたのである。しかしまだ安心してはならない。もしかすると、アレックスが今朝にかぎってふだんよりはやく家を出てしまったかもしれないからだ。すこし不安を感じたわたしは、仕事場に向かうアレックスが毎朝通る街角にある店に立ちとまり、なかにいたおばさんにこう尋ねた。
 「あの奥の家に住むアレックス、えーと、リアカーに荷物をたくさん積んで、毎朝6時にはかならず家を出る青年、今朝見ましたか?」。片言で、身振り手振りのまざったインドネシア語を話すわたしをみて、おばさんは笑った。そして、「まだよ」と、シンプルに答えてくれる。きっとおばさんもアレックスのことを知っているということだ。
 ひとまず安心したわたしは、そのまま店の中に入った。店内には実にさまざまなものがおかれている。何の商売をしている店なのかわからなかったが、開店時間だけは、アレックスの朝よりはやいようだった。そして、こんな朝はやくから、ぽつぽつとお客さんが入ってくるのである。野菜を買いにきた女性がいて、その次に入ってきた1人の青年がタバコを1箱買って店のおばさんにコーヒを頼んだ。しばらくして暖かいコーヒができあがり、かれは椅子に座ってそれを飲んでいた。そこでわたしも青年と同じく熱いコーヒを頼み、テーブルの上においてあったパンといっしょに朝食をとった。
 この店は、いわゆる「なんでも屋」である。次つぎと新しいお客さんが入ってきた。それを見ながらわたしがコーヒを飲んでいるあいだ、おばさんは店の前で線香を立て、「チャナン――バナナの葉っぱの中にいろいろな供え物をいれたもの――」を道端において祈りをしていた。この店のおばさんはバリ人だったのである。バリ人はあのように、自分の家や仕事場のまわりにお供え物をおいて1日に2回ほど祈りをささげる。そのため、朝の街はお香の匂いが漂い、歩く道のいたるところでチャナンがみかけられる。
 軽く朝食をとったわたしは、カメラの電源を入れてまわりの風景を撮影しはじめた。観光客たちがまだ眠っているはやい朝、街は静かである。しかし、もうすぐ起きて店にやってくるはずの観光客たちをむかえる準備で、地元の人びとは忙しい。食堂で働く従業員たちもひとりふたりあらわれ、店のドアを開けたり、朝食のメニューを黒板に書いたりしていた。この店のおばさんと同じく、線香をあげているバリ人たちの姿もみえる。
 他方、朝はやくから街に出ている観光客たちの姿も目につく。サーフボードを脇に挟んだ若い白人男性が、「ビーチ(Beach)」と書かれている看板の下を早足で歩いている。かれはきっと、人が少ないビーチで、朝一番の波乗りを楽しもうとはやくから出てきたのであろう。そしてジョギングをしていたある女性が、わたしのカメラに気づいたらしく、こっちをみて笑顔で手をふってくれている。いつもなら、ほこりだらけで、狭くて、うるさいとしか思えないこのあたりも、朝はこれほどさわやかな風景が広がっているのである。

 アレックスは、わたしのホテルから歩いて10分もかからない近所に住んでいる。ここは、「ポピス通り(Jalan Poppies)」といって、古くから「バリ島を旅する貧乏旅行客のための街」、あるいは「サーファーたちの下町」として知られている場所である。このポピス通りには、バックパッカーやサーファーなどの長期滞在者が好む安宿が多く、よそからきた移民たちが暮す共同住宅(「コス」と呼ぶ)もたくさんある。つまりここは、インドネシア国内外からの「よそもの」たちがつどう場所なのである。「人種のルツボ」までは言わないにしても、いろいろな文化がまじりあい、町はいつも活気があふれている。しかし、その分、よそもの同士の衝突も日常茶飯事のようにみられ、とうぜん警察の出入りもはげしい。
 さて、もう6時だ。もうすぐでアレックスがあらわれることを楽しみに、わたしはカメラをまわしつづけていた。何台かのオートバイがほこりをたてながらわたしの目の前を通りぬける。「あともう少し」、「あともう少し」とかれの登場を待った。しかし、アレックスはなかなか出てこない。「たまには遅くなる日もあるのだろう」としばらく待ちつづけたが、それでもやはり出てこない。
 時刻はすでに6時をこえていて、道を通るオートバイの量も増えていた。1時間あまりを待ちつづけてもかれがあらわれないことに、わたしは不安を感じはじめた。そのとき、オートバイの一列に並んで偶然わたしの前を通っていた友達のクリが、「あれ、ここで何してるの?」といい、オートバイを止めて降りてきた。クリはスマトラ島出身のインドネシア人で、アレックスとも知りあいである。実は、今回わたしにアレックスのことを紹介してくれたのもクリで、いろいろな面でわたしの力になってくれるありがたい友達である。それに、今回もまたこのようにわたしが困っているときに、かれはまるでスーパーマンのようにあらわれた。わたしはかれに事情を説明した。そしたらかれは、「あれ、おかしいね。ならおれといっしょに部屋にいってみよう」というのであった。
 アレックスの住む部屋は、先までいた道をずっと奥に入ったところのつきあたりに位置していた。狭い路地には、何件かの家があり、そのほとんどは共同住宅である。
「ここにアレックスが住んでるよ」といい、クリが足をとめた。青い鉄の玄関をくぐってなかに入る。7部屋が、真ん中の小さい庭を囲んでいて、その全体の部屋をつなぐ屋根は茶褐色だった。不思議と、バリ島にはこのような茶褐色の屋根が多い。それが、ここの青い空やヤシの木といっしょになってつくりあげる風景は美しい。
 小さい庭にはピンク色のハイビスカスの花が咲いていて、そのあたりでは数羽のニワトリが放し飼いにされていた。そこに洗濯物を干しているおばさんがひとりいて、わたしを見てはニコッと笑う。目があったら相手がだれであろうが笑顔を送るというのは、バリに住む人びとの共通する挨拶のようだ。おばさんの横に立っていたこどもが、ビデオカメラを手に持っていたわたしを不思議な目でみあげていた。「ハロー」と声をかけてそっとカメラをむけると、少年は恥ずかしそうにおばさんのうしろに隠れてしまった。
 「アレックスはもう出たの?」と、クリがおばさんに親しく話しかけた。すると、「いや、まだなかにいると思うよ」と、彼女は答えた。クリはわたしに「ここでちょっと待ってね」と言い、部屋にあがってゆく。「おはよう、アレックス」、といいながらクリがドアをたたいた。が、返事がない。かれはもう一度ドアをたたいた。そして、しばらくして暗い部屋のなかから変わり果てたアレックスが姿をあらわした。
 いったい、アレックスには何が起こったのだろうか。アレックスはわたしに、「大丈夫、大丈夫」と言うばかりである。しかし、まじめなことで有名なかれが仕事を休んでまでこの時間に家にいるということには、「大丈夫」じゃない理由があるに違いなかった。それならば、あの血だらけの顔は何を意味するのだろうか。かれらはしばらくインドネシア語でなにかを話していて、それが理解できなかったわたしは、かれらの話しているのを注意深くみつめていた。どきどきクリが「アドゥー(まさか)!」といいながら手のひらで頭を叩いている。あのジェスチュアーはクリ独特のくせなのだ。かれはいつもなにかの不満を口にしたり怒ったりしたときに、ああやってひたいを叩いたりする。だから、今回も何かクリを怒らせることがあったことが、わたしには伝わってきた。
 話がいったん落ちついたのか、日本語が話せないアレックスのかわりに、クリがすべてのことをわたしに説明してくれた。
ことのはじまりは、今からたった3、4時間前、つまり今朝の3時ごろであった。

 「アレックスは昨日、いや今朝、ナイトクラブに行ったみたい。まあ、いくらお金がないといっても、まだ若いから、たまには遊びたいしね。しかもこの子、最近全然休まずに仕事ばかりしていたんだよ。そりゃ、いろいろとストレスもたまるじゃん。それに昨日は仕事場でボスがお金をくれなかったらしいわ。
 それで、ほんとうにひさしぶりにひとりで飲みにでかけたの。もちろんその前まではずっと部屋にいたみたい。でも、ぜんぜん眠れなくて、ビールいっぱいくらい飲めるお金はあったから外に出た。この近くにバウンディーってナイトクラブあるでしょう? うん、そこに行ったみたい。あそこなら、みんな朝まで飲んでいるからね。
 それで、音楽でも聴きながらビールを飲もうと、席に座ったんだって。ビールがきて、一口飲んだあと、ポケットからタバコを取り出した。火をつけてステージで踊っている人をみているときだったよ。そのとき、すごく酔っぱらっているオーストラリア人の白人オトコが、アレックスに向かって大きな怒鳴りだしたんだとさ。「おまえ、なんでおれのタバコ吸ってるんだ! この泥棒やろう!」って、そう言いながらアレックスのタバコをとっていっちゃった。まあ、酔っぱらっているからしかたないとも思ったけど、アレックスにはタバコがそれしかなかったし、買おうとしてもそこは観光客の値段で、それがまたすごく高いんだよ。それで、丁寧にその白人に向かって、「それ、僕のタバコですけど……」と言ったの。そしたら、そのオトコ、立ち上がっていきなりアレックスの顔を殴ったんだって。しかもね、となりにいた連中も4、5人くらいいっしょになってアレックスのことを泥棒だといいながら殴ったんだってさ。
 ことが大きくなったから、店のセキュリティーたちが来たよ。そのときね。アレックスは、同じインドネシア人であるかれらに助けを求めた。「いや、この白人たち、僕のことを誤解しているんだ。僕は、自分のタバコを吸っただけだよ!」と。なのにな……。あいつらもいっしょになってアレックスを殴ったんだってさ。白人たちが「こいつは泥棒だ」というのをそのまま信じて、アレックスのいうことは聞きもしなかったんだってさ。
 知ってるでしょ? バウンティーのあの体でっかいバリ人のセキュリティーたち。2002年に「サリクラブ」で爆弾テロがあったあと、バリのナイトクラブには以前よりセキュリティーの人数が増えたよ。何倍も。みんな、体がこんなに大きくて、ま、いってみりゃみんなハンサムなバリ人のおにいちゃんばかりだな。でも、みんな頭がバカだよ。体がでっかくても、脳みそが小さいんだなー(といいながらクリはまた自分の頭を手で叩いた)。だって、同じインドネシア人が助けを求めても、助けてくれないしさ。観光客の言うことなら、なんでも聞く。まあ、そのほうが都合はいいだろうけど……。
 アレックスはまだバリにきて1年も経っていないから、セキュリティーたちはこの子の顔も知らないでしょう。ましては、友達もつれて行かずに、ひとりで行ったのだから……。 こいつ、アレックス、おまえもバカだよ(アレックスに向かって言っていたが、アレックスはクリの言う日本語が理解できない)。だいたいおれたちがあんなところに行くのは、観光客の友達といっしょに行くか、何人かグループで行くのさ。まあ、それが確実に安心して遊べる方法だよ。もしなにかあっても、仲間がいたら怖くないし、助けあえるし。なのに、この子、ひとりでよくもあんなところ行ったんだわ、まったく……(と言い、クリはタバコに火をつけた)。
でも、かわいそうね。ちょっとこの顔みて。本人も、「僕、犬のように殴られたよ」って言っているわ。靴のままおなかをけってくるやつもいて、それがバリ人のセキュリティーだったんだってさ。そこで、アレックスも殴り返そうとしたよ、もちろん。でも、そのとき、いろんなことを考えたらしいよ。「殴り返さないほうがいいかもしれない」とさ。だって、もし殴り返してことが大きくなったら、とうぜん警察も来る。警察といってもまたみんなバリ人でしょう? なら、だれを先に助けると思う?そうだよ。やつらは、わたしたちみたいなよそ者の話なんか聞きやしない。もちろん、なかにはいいやつもいるけどね。だいたいじぶんたちと同じバリ人のことが先なのよ。おれたちがいくら「罪がない」と主張しても、それを信じてもらうことは、すごくむずかしいもの。それで運が悪けりゃ、もうバリにはいられなくなるかもしれない。アレックスはそこまで考えてしまったらしいよ。それで、もうあきらめて、そのまま殴られてきたの。
でもね、この程度でよかったんだよ。警察にへんなことで顔覚えられたりすると、あとになってほんとうに大変。罪もないのに刑務所に入った人も、おれ、何人か知ってるし。ま、いい勉強になったと、そう思うしかないわね。」

 アレックスは、いつのまにかシャワーをあびてきた。首にタオルをかけたまま、庭にいたおばさんとなにかを話している。心配そうな顔をしたおばさんが、洗濯物を手に持って、かれの顔をみていた。それからアレックスは部屋に戻って、仕事に行く準備をしはじめた。次つぎと、部屋からアレックスの仕事道具があらわれる。自分の背丈よりも高い色とりどりのサーフボードだった。
 アレックスの住む狭い部屋のなかには、家具もなければ、布団もなかった。ただ、かれが持ち運んでいる大きなサーフボードだけが山積みになっている。その部屋でアレックスは毎晩を過ごすのだ。かれはそれを、玄関の外に停めてあるリアカーまでひとつひとつ丁寧に運んでいった。
昨晩眠れずに起きて外出し、あれだけひどく殴られて帰ってきたばかりなのに、かれは今日も仕事にでかける。仕事をしていれば痛いのもすぐ忘れると、病院に行こうというわたしの提案をかれはふたたび笑顔で断った。
いよいよリアカーが動きだす。重そうなリアカーが、道の水溜りに落ちたり小さな石にぶつかったりするたびに、わたしはとてもかれのことが心配になる。そしてわたしの無表情のカメラは、かれのしんどそうな顔までを画面のなかに鮮明に映していた。ビーチに向かうアレックスの横を、オートバイや車がとおりすぎていく。時どきクラクションを鳴らす車もある。また、同じ道を歩いている観光客たちも、先ほどにくらべてはるかに多くなっていて、道は込み始めていた。アレックスは「もう、遅くなってしまったよ。急がなくちゃ」と、カメラに向かって話す。15分くらい歩いただろうか。波の音が聞こえはじめた。狭い道の向こうにビーチが見えてくると、アレックスの足もいっそう速くなっていた。
 ビーチについたアレックスは、リアカーを停めた。そして、サーフボードをひとつひとつ運びだす。頭の上に1枚乗せて、脇に3枚も挟む。いかにも不安定な姿勢だったが、かれはそのようにして板をビーチの一角にある仕事場まで無事に移動させていた。数回その作業を繰り返し、アレックスは最後に自分のかばんを持って仕事場についた。
時計はすでに9時をまわっていて、ビーチには多くの観光客が来ていた。サーフィンを楽しんでいる人はもちろん、朝はやくから海で泳いでいる人、木陰でハンモックをかけて読書している人など、観光客たちは自分に与えられた休日の朝をそれぞれの過ごし方でおくっている。そして、そのような観光客を相手にさまざまな商売をしている現地の人びとの姿も目につく。小さい屋台を出して、そこで食べ物を売っている人、アクセサリーをたくさん持ち歩きながらそれを観光客に売っている人、またアレックスのようにサーフボードをレンタルする人など、現地の人びとも、自分たちの仕事にそれぞれ夢中になっている。ふだんよりより遅れてしまったのだが、今から夕日が沈む瞬間までのあいだ、アレックスはこのビーチで仕事をするのだ。

本格的にアレックスの1日がはじまったのである。
by maya_sinji | 2006-02-05 01:25 | 論文用雑談